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1月13日、ピアニストの本田竹広さんが旅立たれた。
私がジャズを始めたばかりのころ、 本田さんの力強いタッチと ブルージーでダイナミックな音使いに憧れて、 ライブにはずいぶんと通ったし、 隠し録りしてはコピーもした。 大好きなピアニストの1人だった、というか、 アイドルだった。 10年前に病に倒れてからも、 懸命のリハビリで復帰を遂げて、 近年ではCDも連作でリリースしたり、 マイペースに順調な活動をされてたと思ってたが、 突然の早すぎる旅立ちだ。 本田さんのご冥福をお祈りするとともに 想い出を書き連ねておきたいと思う。 いちばん最初に聞いたのは、 まだ学生時代にNARUでバイトしていたとき、 NARUさんに「本田を聞かないとダメだぞ」と言われ、 ジャズ研の仲間やベースの藤田耕平氏と連れ立って 代々木NARUに聞きに行った。 ベースは米木さんでドラムはまだ村上寛さんだった。 まだジャズが何たるかわからず、 事前情報もないままの本田さんの演奏だったが、 熱くて熱くてここまでイッちゃうかのプレイと 岩のような音の塊に圧倒されて、 一発でノックアウト。 とにかく、かっこよかった。 また打鍵が強力だった。 当時の代々木は今よりも ふかふかの絨毯が敷かれてたと思うが、 本田さんが弾くピアノの、 たぶんハンマーが弦に当った振動が、 ピアノから数m離れていても 譜割どおりに足元から伝わってくる。 ウソだろ?って思った。 それからというもの、 とにかく夢中になって追っかけて聞いた。 バイト先の御茶ノ水では滅多に出演がなくて、 代々木やアルフィーにサテンドールなど あちこち出かけて聞きまくった。 峰さんや植松さんとのカルテットや、 ベースは米木さん、是安さん、 ドラムはトコさんや珠也さんとのトリオだった。 演奏ももちろんかっこよかったが、 こんなことがあった。 ある日曜日のNARUのこと、 いつものように演奏は素晴らしかったが、 日曜日なんでお客は少なかった。 グループ客の一団が来てたが、 演奏なんかろくに聴きもせず、 ずっとやかましく喋り続けていた。 最後のセットの最後の曲が終わった途端、 何を思ったかグループ客がアンコールを要求。 聴きもせずにアンコールかよ、と思ったんだが、 「もう1曲やってよ!!」なんて手拍子までしてる。 ベースの是安さんやドラムの原大力さんは 戸惑った様子でステージに残ってたが、 本田さんはまったく意に介さず、 一人ですたすたとカウンターまで戻ってきた。 酔ったグループ客は本田さんの背中に向けて、 「1曲でいいからやってよ!」としつこい。 本田さんは微動だにしないし、 店側の私が断りに行こうと思ったとき、 本田さんが無表情でご自分のスタジャンを羽織った。 すると、アンコールの呼び声がぴたっと止んだ。 是安さんも原さんもそれを見て、 カウンターに戻ってきた。 え? 何があったんだ? 食器をさげるフリをして カウンターから出て本田さんの後ろに回ると、 本田さんの赤いスタジャンの背中には「CLOSED」とあった。 大きく刺繍されたCLOSEDの文字。 偶然のブランド名だったに違いないが、 心底、かっこいいと思った(笑)。 まだ病に倒れる前だったので、 本田さんは風貌も眼光も鋭く、 腕は丸太のように太く迫力十分で、 怖くて近づき難かった。 いつだったか憶えてないが、 本田さんが閉店後の御茶ノ水に ベロンベロンで来たことがあって、 NARUさんに頼まれ都立家政の ご自宅まで送ったことがあった。 これはチャンスだと思い、 思い切ってピアノを教えてほしいと お願いしたら、 「オレんちはピアノがねぇんだよなー。 だいいち、女じゃないと教えないんだよ。 がっはっはー」と一笑に付された。 その後何年も経ってから、 ピアノの荒武くんと知り合って、 なんだ男でも教えてたんじゃん、と思った。 でも、自宅にピアノがないというのは 本当だったらしい。 学生だった私はミーハー丸出しで、 「オレはマイヤーズラムが大好きでさぁ、 マイヤーズを置いてない店じゃ仕事しないんだよ」 と聞けば、生ゴムみたいな味で苦手だった マイヤーズを真似して飲んだ。 プレイ同様飲み方も豪快で半端なかった。 一晩で、というか、3回の休憩で 店のボトルを1本空けちゃうほど。 辛いものもお好きだったようで 厨房にあった鷹の爪をバリボリしながら、 70度もある泡盛をあおるように飲んでいた。 こんな生活してても 身体がおかしくならないのは よっぽど丈夫なんだなと思ったら、 突然、病に倒れた。 復活は絶望視されていたが、 その後、数年を経て、 奇跡のカムバックを果たしたと聞き、 ワクワクしながらNARUに行った。 が、演奏に往年の輝きは見られず、 フレーズはつまづき、リズムはよれてばかり。 身体がいうことをきかなかったんだろうが これがあの本田さんなのか?と 信じられないほどにたどたどしいプレイだった。 ファンだったから、頑張ってください!!と思う反面、 あまりの状況に聞いてて悲しくて ステージ半ばで帰ってきた。 それからもNARUさんから、 「本田はよくなったぞー!」と聞いては 二度、三度と足を運んだが、 やっぱり全盛時のプレイは望むべくなく、 たいてい途中で帰ってきた。 本田さんが病に倒れる以前も以後も、 NARUさんは本田さんのピアノが いちばん好きだったんじゃなかろうか。 「気持ちが入ってるからあれでもいいんだ」と NARUさんは熱く語っていたが、 耳馴染みのある本田さんのフレーズが、 弾ききれなかったり、リズムがずれたりして、 口惜しそうに雄叫びをあげる本田さんを見て、 辛くてもう聞いていられないと思った。 最後に聞いたのは3年前だった。 ジャズ研後輩のパーカッションが 本田さんのバンドに属してた関係で GATE ONEで本田さんとDUOでやる、 というので聞きに行った。 復活直後の演奏よりは 快復されてるように感じたが、 やはり往年のギラギラした感じはなく、 いやに素朴なサウンドだった。 きっと私の好みも変わってたんだろうし。 それからは聞いていない。 本田さんが亡くなってから、 ファンサイトでライブレポートなどを読むと、 もう一度、生に接してみたかった気も少しするが、 やっぱり聴かないでよかったのかも知れない。 私なんかにもルーツや原点があるとすれば、 代々木NARUで本田さんの演奏に触れたことは 間違いなくその一つだったと思う。 たくさんの興奮と感動をありがとうございました。 どうか安らかに。 合掌。
by showtkgg
| 2006-01-13 00:01
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